「佐幕」と「勤王」


 まずはじめに、「尊皇」と「攘夷」を読んでください。話はそれからです。

 『佐幕』とは、“幕府を慕い、補佐する”という意味である。
 『幕府』とは、“武士による政治機関”の名称であり、その代表は天皇により任命される“征夷大将軍”である。
 そして、政権はもともとは天皇のものであり、将軍に与えられて初めて幕府が誕生する。

 幕府を尊ぶ事は天皇を尊ぶ事に繋がるのである。

 が、徳川幕府は天皇家を軽んじた政策をしていた。無論、徳川家に仇なす勢力を牽制するためである。
 当然、幕府と天皇(朝廷)との中は悪くなる。
 しかし、この幕末期に十四代将軍家茂孝明天皇の妹・和宮との非常にわかりやすい政略結婚により、親密な関係が築かれた。

 要は佐幕と尊皇は相対する思想ではないという事である。

 重要なのは、『勤王』と『尊皇』の違いを理解する事である。

 それでは、『勤王』と『尊皇』違いは何か?

 『勤王』とは、『尊皇』の基本概念に加え、“帝(天皇)に勤める”と言う意味が含まれる。
 どこが違うのかというと、『佐幕』と相対する思想であるのだ。

 「武士は二君に仕えぬ」という言葉があるように、「天皇」と「徳川」の二君に勤める事をよしとしない。
 また、過激な勤王家になると、「藩主」に仕えることもよしとせず、脱藩をするようになる。

 “君主を天皇と定め、幕府から政権を取り戻して天皇号令の下による攘夷を行おう”というのが『勤王』である。

 佐幕派は、幕府指揮のもとで攘夷を行おうという思想であるが、家茂などは開国派であるので、開国の後の攘夷、即ち『大攘夷』を掲げる者が多かった。


 佐幕派としては、家茂と親密になり、次第に開国へと心が動いていった孝明天皇を、薩摩よりの公卿が暗殺したという噂や、幕軍及び奥羽越列藩同盟には明治天皇の弟である輪王寺宮公現法親王(北白川宮能久親王)が加わっていた事実を見過ごすわけには行かない。



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