雑記





京都散策




京都旅行の詳細。

朝9時京都駅着。

西本願寺から行くか泉涌寺から行くか迷ってましたが、京都駅の南側に出たようだったので泉涌寺から逆時計回りで回ることに。

地図を見ながら歩くこと20分程度で泉涌寺に到着。

泉涌寺山門

画像は泉涌寺の入り口の山門です。

九条通から泉涌寺道という小道に入っていかなければならないのですが、観光スポットらしく案内表示もあるので注意していれば見落とさないでしょう。

泉涌寺ではなんか有名な行事があってその時期は観光者で溢れるとのことです。

が、今回は山門には入らずスルー。

(今調べたら孝明天皇陵墓があるとか・・・スルーしちゃった)

上の写真を撮った位置の左手に見えますこの看板↓

戒光寺墓地

ここに用があるのです。

入り口に柵がありますが簡単に開けられます。

入ってすぐ目にする「御陵衛士墓所」の看板。

新選組に入隊するも道を違え分隊という形をとって新選組を離れるも、結局新選組によって潰されてしまった御陵衛士の油小路や戊辰戦争等で亡くなった方々のお墓です。

正面に四つと左に二つの計六つの墓石があります。

正面右から順に、

・服部三郎兵衛 源良章
・藤堂平助 藤原宜虎
・誠齋伊東甲子太郎 藤原武明
・毛内監物 平良胤

左手奥に、

・高村久蔵

左手前は合祀で七名。

正面・・・佐藤太郎 平(以下欠落)
左側面・・・茨木司 平昌業
同・・・佐野七五三之助 源忠正
右側面・・・富山四郎 源豊國
同・・・竹川直枝 源重春
裏・・・富山十郎 漆原良利
同・・・中村五郎 平義明

見てわかるように通称と氏諱があり(墓石には区切りはないですが)、またそれぞれ出身地と享年も刻まれてます。

高村久蔵は新井忠雄の従者で士分ではないので氏諱はありません。

メモ:

―泉涌寺は天皇家の菩提寺で孝明天皇陵墓もあり、御陵衛士は死後もなお御陵を守護しているとのこと。

―鳥羽伏見の戦いの後に新選組墓所から戒光寺に改葬されたとのこと。



泉涌寺をあとにし九条通を北へ進むこと2,30分程度で見える京都女子大学の看板。

を尻目にさらに北へ進み見える清水寺の看板。

を過ぎて少し行ったあたりに見える「高台寺・霊山・竜馬の墓」の看板。

次の目的地はここです。

清水からほど近くにあり、竜馬の墓及び霊山博物館もあるので有名だと思います。

急な坂道を登るので結構きついです。

泉涌寺とここ行かなければあんなに足を痛めずに済んだと思うほど・・・。

でもまあ幕末好きなら一度は行っておきたい場所です。

霊山墓地は入場料300円ながら幕末に活躍したりしなかったりした尊攘派の方々の墓碑がたくさんあります。

坂本竜馬・中岡慎太郎の墓がメインであり、桂小五郎・幾松の墓もあったり、その他にも色んな人の墓碑があるので、思わず「あ」と言ってしまう人物がいることでしょう。

池田屋の亭主・池田惣兵衛の碑を見つけたとき「あ」といいました。

残念なのは水戸藩のあたりで道がないと思って引き返してしまったことです。

霊山博物館に一覧があるのですが、まだまだ奥に肥後藩などもあったようです。

ああ、縮小版買い忘れた・・・

墓地の隣には霊山博物館があり、幕末資料が展示されています。

私が行ったときは桂小五郎展をやっていて、桂小五郎が実際に使用していたという日用品が数点と桂に関係ある人物の写真がありました。

他にも新選組の遺品なども展示されていたり、池田屋や竜馬暗殺時や大河ドラマ新選組のセットの模型などもありました。

しかし入館料の割に見るものが少ないと思ってしまいましたが・・・。

最近幕末関連(特に新選組関連)の本をよく出している木村幸比古氏は霊山博物館の人なのでサイン入りの本が買えます。



霊山を出たら次は月真院。

霊山の急な坂道を降りて八坂神社方面へ細い道を行くとあります。

地図見ても道がこまかくてよくわからないし、案内表示もないもないので少々わかりにくいです。

御陵衛士屯所跡

↑風景と同化しているためたいして目印にならない御陵衛士屯所跡の碑。

小さな門の右脇にこの碑と黒ずんでいて字が読みにくい看板があります。

大学一年の時に八坂神社方面から清水寺まで歩く必要があったのでその時も行きましたが・・・。

その時は門が開いていなかったのですが、なんとこの日は春の特別公開だかなんだかで入ることができました。

ただし500円で。

抹茶と茶菓子つき。

いやね、入るのは無料なんですがね、抹茶が500円なんですよ。

抹茶拒否して見学してもいいのかどうかは不明。

とりあえず500円くらい払っておきましょう。

接客慣れしてない感じの方々が抹茶を淹れてくださり、心安らぐ庭の景色を見ながらおいしくいただけます。

しかしここで御陵衛士十数名が寝泊りしていたにしては少し狭いように感じました。

まあ寝れなくはなさそうですが・・・他にも建物があったか奥に部屋があったのでしょうか。

このあたりで昼の12時まわってたので昼食をとろうと店を探してたのですが、どこもかしこも観光客目当ての(?)京懐石やら湯葉やらの店で値段も敷居も高かったです。

リーズナブルでいて京っぽい料理の店を探しつつ次の目的地へ行くことに。

四条大橋を過ぎ、さて枡屋跡を探・・・そうとするが目印がわからない。

調べるの忘れてた・・・。

ここに来て四国屋・池田屋跡も大まかな場所しか調べてないことに気付き焦る。

そして腹も減っていた私が出した結論は・・・

「飯食おう」

どうせ碑しかないんだ。パスパス。(何



先斗町の手打ち蕎麦の店で昼食後、回るルートを間違えたことに気付く。

四条から壬生へ行ってから北上して二条城のルートが正解・・・なのに三条の池田屋跡などを探そうとしてしまったため道を戻らねばならなくなってしまった。

仕方ないのでこのまま北上しようということに。

しかしここで気付くべきでした。

観光所は大抵夕方4時〜5時ごろまでしか営業しないということを。

気付いたのはホテルオークラを探して歩いている頃。

京都市役所に着き、この辺かぁ・・・こっちかな?と言って道を間違えたそのときでした。

昼の2時を過ぎた頃。

京都市役所から壬生までは2〜30分はかかると思われたので、御所と二条城をチラ見していけば4時前には着くだろうと思いそのまま北上することに。

長州藩邸跡

画像は京都市役所隣の京都ホテルオークラでホテルマンとして働く桂小五郎。(違

長州藩邸跡です。池田屋(があるらしい辺り)から歩いても走っても数分の場所です。



そのまま北上し御所へ。

この辺りに来て足に痛みが。

膝の裏がぎしぎしいいそうな感じになってました。

しかし乗り物は使わないぞという謎の意地。

御苑に着く。塀と砂利道しかないので写真とってないです。

しかし・・・御苑広っ!

足が痛いってのに・・・御所はどこ?入り口は?と歩き回ってしまいました。

御苑を10分くらい歩き御所の入り口発見。

しかし入場するためには事前に許可を取る必要があります。

そんなん知らんし・・・。

ものすごく徒労に終わった御所で唯一の戦果がこれ。

蛤御門 門柱

蛤御門。

会津・薩摩によって京都を追放されていた長州藩が池田屋事件によってついに暴発して禁裏にまで押し寄せ、この蛤御門前で会津・薩摩と激戦を繰り広げたというのは学校で習ったかと思います。

蛤御門の変ともいいますが教科書では禁門の変でした。

自分は中学校で習ったと記憶してますが昔や最近はどうなんでしょうかね?

学校の先生がこの門の名前はこの門が死者を送り出すときにのみ開かれることと、蛤は死ぬと貝の口を開くことからつけられたとか言ってたのをなぜか憶えています。

その頃はまだ幕末好きじゃなかったのですが。

右の写真は門柱についた流れ弾の跡です。

砂利道を歩いたせいか足がかなり痛くなってます。

しかもかなり時間食いました。



二条城に向かって南下。

3時半を回ろうかという頃、二条城に到着。

中に入る時間も体力もなかったのであきらめました。

そのまま南下して20分ほど歩いたところで四条大宮駅発見。

地図を見ながら細い道を行き光縁寺へ。

新選組隊士の墓所です。

山南さんを初め数多くの隊士が眠っています。

中に入ると住職さんが新選組墓所となった成り立ちを説明してくれます。

お墓参りですがお金が要ります。

無料だと心無い輩が来るからでしょうね。きっと。

線香も売ってますので忘れても安心(?)です。

新選組墓所となった成り立ちの詳細や眠っている隊士一覧、ついでに光縁寺の紹介が書かれた紙がもらえます。

順路の矢印通りに進むと、角に明らかに他とは違うボロボロの古い墓石が3つ並んでいます。

山南敬介の墓、大石造酒蔵の墓、合祀でたくさんの名前が刻まれたお墓となってます。

大石造酒蔵は人斬りの異名を持つ新選組隊士大石鍬次郎の弟で、新選組隊士今井祐次郎に斬られたと子母澤氏の調査書とも小説とも取れる本に書かれておりましたね。

山南さんの右隣には沖田氏縁者の墓がありますが、誰のことなのかはわかりません。



痛む足を引きずりながら壬生寺へ急行。

わりかし大き目の道から細い道に入ります。

肥後藩邸跡

この肥後藩邸跡の碑が目印に・・・ならないか。

この道をまっすぐ行けば壬生寺が見えます。

新選組を祀る壬生塚は4時30分までで、ギリギリでした。

近藤勇の胸像やらを拝み、出る。

弥勒菩薩が本尊として壬生塚入り口前にありますが、ゼミで国宝や重要文化財の弥勒菩薩を見てきたので神々しさが足りないとか思ってしまいました。

八木邸は壬生寺周辺にあるとのことだったので探す。

壬生寺を出て右に曲がり、なんか違うと気付き180度ターン。

壬生寺に戻ると壬生塚はすでに閉まっており焦りました。

壬生寺を出て左に歩くこと数秒で八木邸発見。

こちらは公開は5時までで、ギリギリでした。

説明を聞いていてちょうど終わった頃に5時になってしまったらしく、じっくり見ることはできませんでした。

まあでも芹沢・平山が暗殺された実際の部屋を見ることができたので満足です。

あの狭い空間で二組4人で寝てたところを襲ったと・・・。

作戦も何もないですね。

芹沢暗殺時についたとされる刀傷も生で見たので、入場料(1000円)に含まれている抹茶と茶菓子をいただいてお土産物色。

八木家の現当主の方が書かれた「八木家と新選組」なる本があったので購入。サイン入りでした。

ISBNがあるってことは・・・どこでも買えるようです。

八木邸でガイドのおじさんに不動堂村屯所跡の場所を教えてもらい、八木邸を出て向かうは西本願寺。

ちなみに新徳寺と前川邸は入れませんでした。



八木邸・前川邸では手狭になった新選組の第2の屯所、西本願寺。

八木邸からちょっと迷って20分程度。

太鼓楼 西本願寺

新選組が使った建物で現在残っているのは太鼓楼(左)だけと八木邸で教えてもらったとおりのことが書いてありました。

右は入り口側から取った写真。しかし入れず・・・。

西本願寺から堀川通りを南へ5分ほど行くと見えるはリーガロイヤルホテル。

ここが西本願寺が全面的に金を出して建てられた新選組第3の屯所跡です。

不動堂村屯所跡

どこかで一泊してもう一日と考えていたのですが、京都駅がすぐ近くだし足が限界だったので帰ることに。

まだまだ見れなかったところがいっぱいなので場所を詳しく調べてもう一度行こうと思います。

次は自転車で回ろう。








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